1994年、ルワンダで起きた大虐殺。ルワンダは62年にベルギーから独立。植民地当局は多数を占めるフツ人と少数派民族ツチ人という分類を利用した分断統治を実施していた。73年にクーデターを成功させたフツ人のハビャリマナ国防大臣は78年には大統領となり、フツ人中心の独裁政権を強化。以来、難民となったツチ人が隣国ウガンダで武装化するなかで、94年4月同大統領が暗殺される。その直後からツチ系の反政府組織ルワンダ愛国戦線(RPF)がウガンダから侵攻、報復を恐れる民兵などのフツ系住民によって、50万人から80万人と推定されるツチ人が殺されるという、アフリカ現代史に残る大量虐殺事件が発生した。RPFは同年7月全土を制圧。実質的にツチ人を中核とする政権を樹立した結果、今度は200万とも推定されるフツ系兵士、民兵、住民が報復を恐れて近隣諸国に流出した。国境付近に流出した約170万人の難民のうち、130万人が帰還し、10万人以上がコンゴ民主共和国、中央アフリカなどに分散し、残りの24万人は越境したルワンダ軍によって虐殺された疑いが強い。2000年副大統領兼国防大臣のカガメが大統領に当選、03年の大統領選挙でも再選された。1994年タンザニアのアルーシャに国連により設置されたルワンダ国際刑事法廷は2011年現在も続いている。04年3月、フランス捜査当局が、1994年の大統領暗殺事件の首謀者をRPF指導者のカガメと特定した報告を発表し、両国の関係は悪化した。しかし2010年2月にはフランスのサルコジ大統領がルワンダ訪問時にフランス側にも虐殺に対する責任の一端があることを認め、関係は修復に向かいつつある。