冷戦時代においても、南アフリカの1976年のソウェト蜂起、70年代以来のナイジェリア軍政批判、カメルーンの独裁政権批判など、民主化要求は常にさまざまな形で存在してきたが、都市を中心とした民主化運動がアフリカ全土で本格化したのは、89年のベルリンの壁崩壊以降。当初民主化の動きは、アルジェリアの複数政党制導入(89年)、西アフリカのベナンの社会主義政権の終焉など旧フランス植民地諸国に集中していたが、2006年9月現在、名目にせよ複数政党制を掲げていない国はリビア、ウガンダなどごく少数となっている。世界政治におけるアフリカの戦略的価値の減少に伴い、1980年代の国際通貨基金(IMF)・世界銀行の構造調整政策導入による行政の透明化要求や、アフリカへの大規模援助供与国フランスによる援助と民主化のリンケージ外交などの外圧も、民主化に大きく貢献した。しかし90年代後半に至り、構造調整政策の効果が見えないまま経済停滞が続く多くの国で、軍事クーデターと内乱が多発し、民主化の行き詰まり現象が各地で見られている。コンゴ民主共和国(旧ザイール)、コートジボワールはその代表例。2005年6月、エチオピアの総選挙結果をめぐって学生デモに死傷者が出た。一方、翌7月にはブルンジの総選挙で旧反政府勢力が勝ち、民族和解の展望が開けた。07年においても、セネガル、マリ、ナイジェリア、シエラレオネ、モーリタニアなどで大統領選が大きな混乱もなく実施された。複数政党制の導入に加えて立法府の強化や、市民社会の生成が民主化定着のカギとなる。