2008年12月、長期にわたる闘病生活で統治能力が問われていたギニアのランサナ・コンテ大統領が病死した。その直後、ムサ・カマラ少尉がクーデターを行い、権力の座についた。コンテ大統領は、初代大統領のセク・テウレが病死した1984年、クーデターによって政権を掌握し、四半世紀にわたり実質的な独裁政治を行ってきた。しかし近年、待遇に不満をもつ兵士の反乱や都市労働者のゼネストなどが増加し、政権は不安定化していた。ギニアは、世界有数の埋蔵量を誇るボーキサイトをはじめ、金、ダイヤモンド、鉄鉱石など鉱物資源が豊富でありながら、最貧国にとどまってきたうえ、構造的腐敗が続いてきた。今回のクーデターは、より公正な政治を求める民衆の期待を担う形で展開したが、野党弾圧で急速に人気を失った。クーデター直後、アフリカ連合(AU)はギニアの参加資格を停止しており、新軍事政権は承認されなかった。09年末、カマラは側近による銃撃で重傷を負い失脚。10年2月には軍部と野党による暫定政権が、大統領選挙に向けて発足した。同年11月の大統領決選投票でアルファ・コンデが当選。予想された大騒乱もなく、翌12月に大統領に就任した。