2007年12月から08年2月にかけて、東アフリカのケニアでおきた騒乱。07年12月27日、国会選挙、大統領選挙、地方選挙が実施された。現職のキバキ大統領に対し、野党のオディンガ候補が優位と伝えられたが、同月30日、選挙管理委員会がキバキ大統領の勝利を発表し、即日大統領就任宣誓がなされた。これに対し、不正な選挙結果であると非難したオディンガ支持者たちとキバキ大統領支持者との間で、ナイロビ市内のスラムや地方都市で暴力的衝突が発生。キクユ人に支持基盤を有するキバキ大統領陣営と、ルオ人に支持基盤をもつオディンガ陣営が、民族集団間の差異を相手陣営の攻撃に利用したため、政党間の対立が「民族対立」の様相を帯びて暴力化した。08年1月、欧州連合(EU)、アフリカ連合(AU)、コフィ・アナン前国連事務総長などが仲介に乗り出し、2月末、キバキ大統領とオディンガを新首相とする連立政権の発足が合意された。この暴動で、1000人以上が死亡し、数十万人におよぶ国内避難民が生まれた。同国での選挙にからむ暴動は、1992年、97年、2002年の選挙時にも生じたが、今回の事件は、若者を中心とした膨大な失業と貧困・格差問題、利権の維持と開拓にいそしむ政治エリート層に対する市民の不満、民族集団の帰属意識の政治的利用など、複合的要素が不正選挙をきっかけに社会騒乱に発展したといえよう。