リビアは地中海に面する産油国であり、640万人という比較的小規模な人口のため、国民は長らく域内で高い生活水準を享受してきたが、2011年初頭に始まる隣国チュニジアとエジプトでの「アラブの春」と呼ばれる民主化運動の余波を受け、同年2月には全土に反政府デモが展開した。1969年軍人クーデターで王制を倒し、実質的に独裁支配を続けてきたムアマル・カダフィ最高指導者は、軍によるデモ弾圧に乗り出し、2011年3月にはリビア市民の保護を目的に多国籍軍の軍事介入を容認した国連決議が採択された。これを受けてイギリス、フランスおよびアメリカのイニシアチブで北大西洋条約機構(NATO)がカダフィ政府軍に対する空爆を開始し、8月にはリビア国民暫定評議会を中心とする反政府勢力が首都のトリポリを制圧するに至り、カダフィ政権は実質的に崩壊した。10月にはカダフィ自身の死亡が確認され、新生リビアの国づくりが、欧米の石油会社のリビア市場へのラッシュのもとで本格化した。しかし民主化運動の歴史を持つチュニジアやエジプトとは異なり、旧政権のばらまき福祉政策で市民社会の形成が妨げられ、多様な部族社会が混在してきたリビアでは、12年3月にカダフィ政権時代冷遇されてきた東部が自治宣言を出すなど、国民レベルでの統治基盤がきわめて脆弱で、前途は多難である。12年9月にはアメリカで制作された映画がイスラムの預言者を侮辱していると怒ったデモ集団がベンガジのアメリカ領事館を襲撃。居合わせたアメリカ大使が死亡し、急進イスラム集団による計画的犯行が疑われ、それを予防できなかったオバマ政権は一時責任を問われた。さらに13年1月には、カダフィ政権崩壊時に拡散した大量の武器を有する武装集団が、国境を接するアルジェリア東部の天然ガスプラントを越境攻撃し、日米欧の犠牲者も出した。