長らく南北間で内戦を続けてきたスーダン政府と南部のスーダン人民解放運動(SPLM)・スーダン人民解放軍(SPLA)は2005年に南部での自治政府の設置、南部で生産される石油収入の南北間での等分配、南部住民に分離独立の是非を問う住民投票の実施を盛り込んだ包括的和平合意に達した。この合意に基づき11年1月に南スーダンの住民投票が行われた結果、99%が分離独立賛成票となり、同7月9日南スーダン共和国という国名でスーダンから分離独立し、国連では193番目の、アフリカ連合では54番目の加盟国となった。すでに10年に南部自治政府の大統領として選出されていたキールが初代大統領となり、大規模な国連と欧米日の国際援助を受けて国づくりが開始された。しかし豊富な石油資源に恵まれているアビエイ地区は南北間の帰属が未定であり、国土の3分の1を失って一層の政治経済危機に面し、かつダルフール紛争では集団殺害の罪などで国際刑事裁判所によって逮捕状が出されているバシル大統領のスーダンと南スーダンとの緊張関係は高まっている。平和の定着のため国連平和維持活動(PKO)が南スーダンで展開することになり、12年1月日本政府は野党批判もある中で陸上自衛隊をインフラ整備のために派遣した。