マリは人口1500万人強で、サハラ砂漠南部に接する内陸最貧国。イスラム教徒がほとんどのモーリタニア、アルジェリア、ニジェールと北部の国境を接しているため、北部から中部にかけてイスラム教徒が圧倒的に多い。1990年代初頭の民主化のうねりにおいて、比較的公正な選挙による政権交代が繰り返されてきた。そのため「民主化の優等生」としてしばしば欧米の援助機関から称賛されてきた。しかし、2012年3月、首都バマコで、不満兵士が救国のためとして、アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領を追放し、4月には西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の調停交渉で文民政府が発足したが、軍部といわば外圧によって発足した文民政府との関係は不安定なものにとどまった。他方、中央政府の支配が弱体化した北部では、トゥアレグ系の民族からなるアザワド解放国民運動(MNLA)がいくつかの都市を掌握したが、やがてアルジェリアなどの近隣イスラム諸国から流入したイスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)などのイスラム急進武装集団がMNLAを追い出し、占領した北部から非トゥアレグ系の黒人が住む南部の都市へ南下攻勢を開始した。当初、マリ政府は自力での北部奪回を宣言していたが、装備不足などから、また欧米の圧力もあり、ECOWAS諸国の派兵で反撃する方針が決まった。しかし、AQIMの予想外の南下で、ウラニウムを産出するニジェールなどこの地域に利益を有する旧宗主国フランスは、12月に国連安全保障理事会(安保理)における軍事介入決議を取りつけ、13年1月中旬から空爆およびマリ軍との合同地上軍攻撃に踏み切り、北部の主要都市部を奪回した。クーデターと国土分断内戦は、前政権の汚職、軍予算の削減、若者の大量失業などの内因と、リビアのカダフィ政権崩壊による大量武器流入、急進イスラムの活性化などの外因との双方が重なって生じた政治変動と言える。