2013年末、西アフリカのギニア南東部の森林地帯でエボラ出血熱が確認された。ギニア政府は、一時は国内で収まったと発表したものの死者は増加し続け、14年8月には同国のみならず、国境を接するリベリア、シエラレオネに飛び火した。これを受けてこれら3国は非常事態宣言などを発布し、国境コントロールの強化や感染地域の移動制限を打ち出した。しかし、最貧国ゆえの医療・保健インフラの不在ないし劣化、緊縮財政下の公務・治安要員の不足、およびリベリアとシエラレオネ内戦の後遺症で、急速な感染拡大を制御できなかった。また西アフリカ初のエボラ出血熱に対する住民の理解も極めて不十分で住民の協力を広く得られなかったことも、拡大要因の一つとなった。ナイジェリア、セネガル、マリ、アメリカ、スペインなどにも数人であるが感染者が出た。地域のみならず、国際的な安全保障問題という認識が欧米諸国で高まり、大々的なエボラ出血熱対策が官民レベルで展開された。拡大の勢いはやや弱まったものの、世界保健機関(WHO)によれば、ギニア、シエラレオネ、リベリア3国で疑いを含む感染者は15年3月の時点で2万5500人以上に達し、死者は1万人を突破した。エボラ出血熱に対する治療薬やワクチンは開発を加速しているものの実用化されていないため、当面はこれら3国の政府の公的医療・保健やセーフティーネットの再建、およびいまだ不十分な国際的支援の拡充が緊急課題となっている。