2011年初頭、チュニジアとエジプトで開始された独裁政権に対する民衆の民主化要求運動(いわゆる「アラブの春」)は、1969年にトリポリタニア、フェザンおよびキレナイカの3地域からなるリビア連合王国を軍人クーデタで倒したカダフィ大佐の独裁体制にも余波を及ぼし、長らく弾圧されていた旧王政派などを中心に反政府デモが全土で生じた。反体制勢力はカダフィ政権の武力弾圧に直面するが、2011年3月のフランスやイギリス主導の「人道支援」を名目とした北大西洋条約機構(NATO)の名による空爆は、同政権の崩壊を決定的にした。移行政権を経て、14年6月の国会議員選挙によりイスラム急進派と距離を置く親欧米の暫定議会・政府が発足し、8月にエジプト国境に近い東部都市トブルクで初会合を開いた。しかし、首都トリポリを拠点とするイスラム勢力はそれを認めず、同月にトリポリで独自の政権を樹立。国内に二つの政府と二つの議会が併存することになった。また、国内最大の原油生産施設を有する東部キレナイカ地域では、連邦制を主張するキレナイカ評議会が13年10月に一方的に自治政府を宣言。14年3月には、その武装組織が支配する石油輸出施設から北朝鮮向け不法原油輸出が発覚した。さらに「イスラム国」(IS)を名乗るイスラム急進派勢力も出現し、これら二つの政府と対立している。欧米の民主化によるポスト・カダフィ政権への思惑、カダフィ政権下で弾圧されてきた旧王国勢力および越境して活動するイスラム急進派武装勢力などの利害が入り乱れ、内戦状態は群雄割拠の相を呈し、泥沼化している。