2005年の政変以来、キルギスでは新憲法の制定が大きな政治課題となっていたが、政局の混乱と並行して作業は難航。最大の論点は、大統領の権限を抑制するか否か、という点であったが、05年7月に大統領配下の憲法改正審議会が大統領制、議院内閣制、大統領・議院並立制の3案併記の答申を提示。同年11月には新憲法のあり方をめぐって大統領と議会内野党勢力が対立。12月に発表された新憲法案では、大統領と議会の間の調停成果が十分に盛り込まれなかったことから対立が深刻化し、バキエフ政権を支えてきたクーロフ首相が辞任・下野した。07年9月、憲法裁判所がこれらの憲法の無効を宣言。10月21日、国民投票で大統領権限を拡大、議会制度を見直した新憲法が制定された。その直後、バキエフは議会を解散。12月16日に新制度による議会選挙が行われ、与党が勝利したが、内外から非民主的であったとの非難を招いた。