2009年7月上旬、ウルムチを中心にウイグル人が首謀したとされる暴動。直接的には6月下旬に広東省・韶関で発生したウイグル人労働移民に対する襲撃・死亡事件に刺激された行動。新疆ウイグル自治区と大陸沿岸部、漢民族とウイグル人との経済格差に対する潜在的な不満が事件の背景に存在する。
7月5日夕刻、広東省での事件に抗議するウイグル人の集会・デモがウルムチ市内各地で発生、一部が暴徒化し、当局側の鎮圧により死傷者が拡大。その後数日にわたり自治区各地で散発的にウイグル人による集会・事件が発生、混乱は数日間に及んだ。デモの組織にインターネットが活用されたことから、当局はこれを規制。08年のチベット暴動を教訓に報道統制・操作が徹底された。7日にはウイグル人への反発から漢民族による1万人規模のデモも組織され、一部が暴徒化した。事件にかかわったとして当局に拘束された者は最終的に2000人超と見られる。当局側の発表では死者は18日までに197人、負傷者は1600人超、大半が漢民族であるとされた。
亡命ウイグル人組織「世界ウイグル会議」は、事件の契機であるデモが、市内4カ所より計1万人が行った平和的なものであり、軍・警察による武力鎮圧によって事件が発生した、と反論。同会議が暴動を扇動したとの中国側の主張も否定した。また死者も最大3000人と推計する。