オスマン朝時代や第一次世界大戦期にトルコ領内で発生したアルメニア民族への虐殺事件から、トルコとアルメニアは民族的に対立。ソ連時代も北大西洋条約機構(NATO)の一角を担っていたトルコとの国境は、一部を除き閉鎖された状態が続いた。さらに1991年のアルメニア独立後、トルコがナゴルノ・カラバフ紛争でアゼルバイジャン側を支持した経緯から、アルメニアとの国交は開かれなかった。2008年9月、トルコのギュル大統領が独立後のアルメニアを初訪問。トルコやロシアなどが主導してナゴルノ・カラバフ問題に関する和平交渉が再開されたことで、アルメニアとトルコの国交樹立の機運が高まり、09年10月10日、スイスのチューリヒにおいてアルメニアとトルコの外相が両国の国交樹立合意文書に調印。今後、両国議会による批准手続きが控えているがプロセスは停滞している。ヨーロッパ諸国において政治・経済界で発言力を持つアルメニア移民の懐柔も視野に入れ、トルコは欧州連合(EU)加盟に向けた足がかりとなることを期待。また、紛争地域を多数抱えた近接するカフカスへの影響力の拡大をめざす。外交の多角化をめざすアルメニアは、ユーラシアの主要国であるトルコとの関係改善によって、ロシアのみに依存しない自立的な対外政策を模索する。