アゼルバイジャン領内でアルメニア人が多数を占めていた旧「ナゴルノ・カラバフ自治州」の帰属をめぐる紛争。そもそも自治州の領域を含むカラバフ地方は、1918年のアゼルバイジャン、アルメニアでの民族共和国誕生時からの係争地であった。20年に両国がソビエト社会主義共和国を樹立すると、同地方はロシア共産党の決定によりアゼルバイジャンに帰属することとなった。このうちアルメニア人が多く住む山岳部を自治区としたのが「ナゴルノ・カラバフ自治州」である。88年2月、自治州議会がアルメニアへの帰属変更を求める決議を採択したことで問題が深刻化した。91年末にはアゼルバイジャン最高会議において自治州の廃止が決議される一方、アルメニア人分離派が「ナゴルノ・カラバフ共和国」を名乗って独立を宣言し、全面的な武力衝突が始まった。紛争は94年春までにアルメニアの支援を受けた分離派が旧自治州領域の周辺にまで実効支配地域を拡大し、同年5月にロシアの仲介で停戦した。以後、欧州安全保障協力機構(OSCE)仲介による和平交渉が続けられているが進展はなく、小規模な戦闘は散発的に続いている。2016年4月には大規模な戦闘が発生し、一部地域をアゼルバイジャン側が奪還した。分離派の実効支配地域は事実上の独立状態であるが、現時点では国連加盟国のうち独立を承認した国は存在しない。