2011年3月11日に発生した東日本大震災・津波被害と東京電力福島第一原子力発電所事故は、近代日本史上、未曽有の広域的で巨大かつ過酷な震災・事故となった。地震・津波の被害は液状化被害なども含めて、岩手・宮城・福島の三県を中心に北海道から千葉県までの広範囲に及び、約1万6000人の尊い生命が奪われ(+行方不明:約2700人)、避難者は約31万6000人に達した(首相官邸・緊急災害対策本部13年1月29日)。また、福島県では13年1月現在、県内仮設住宅入居者9万7000人強、県外避難者5万7000人強となっており(福島県災害対策本部)、震災・原発事故から2年近くたった13年1月時点でも見通しの立たない厳しい状況下で困難な生活を強いられている。このように極めて悲惨かつ過酷な被害をもたらした震災・事故であったが、学校教育と地域に立地する学校の重要性をさまざまな側面で改めて明らかにすることにもなった。第一に、震災・津波被害という点で言えば、園・学校管理下にあった園児・児童・生徒の死亡・行方不明率は全死亡・行方不明率よりかなり小さく、その数が最も多く、「大川小の悲劇」(108人中74人が死亡・不明)もあった宮城県の場合でも、全死亡・不明率は(全死者・行方不明者数÷総人口×100)0.49%であるのに対し、園児・児童・生徒の死亡・行方不明率は(公立の園・学校:園児・児童・生徒の死者・行方不明者数÷総園児・児童・生徒数×100)0.147%で、前者の約3分の1だった(宮城県庁11年9月30日現在、同県教委11年10月20日現在)。こうした結果は、学校での日頃の防災教育・訓練の成果と見ることもできるが、それだけでなく、震災時における教職員や児童・生徒の避難行動の迅速さ・適切さや周囲の大人への声掛けなどが大人の避難行動にも影響を及ぼした面もあることを考慮するなら、学校における適切かつ充実した防災教育・訓練は、その成果が大人や地域にも波及するという点でも重要だと言える。第二に、学校は災害に際しての避難所に指定されていただけでなく、震災後も、震災・津波被害を免れた学校は新学期開始までの短期間とはいえ避難所として活用され、また、子どもたちとその笑顔は、避難所生活において、周囲の人びとの心の支えにもなり、復興に向けての励みの源泉にもなってきた。第三に、子どもたちと学校の存在や開校は、人びとが被災地(ないしその周辺:故郷)にとどまる拠(よ)り所となり、困難な環境にあっても勇気や希望を維持し、被災地の復興に励むうえでの精神的な拠り所と促進要因にもなってきた。このように、「3・11」として記憶される巨大震災・津波被害は、学校が地域にあるということの意義・重要性や防災拠点の一つとしての意義や防災教育の主要な担い手の一つであるということなど、さまざまな側面で、地域に立地する学校の重要性を改めて明らかにした。