1957年(昭和32年)、米軍が使用する東京都下の砂川町にある立川飛行場の拡張工事を始めた際に、工事反対派のデモ隊が乱入、うち7人が基地内に立ち入ったとして起訴された事件である。この裁判で、第1に、日米安全保障条約による米軍の駐留が、戦力の不保持(憲法9条2項)に反するか、第2に、駐留の根拠となる旧日米安保条約も同じく憲法違反かが問題になった。最高裁判所は、第1に、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、憲法が禁止する戦力には該当しないこと、第2に、旧日米安保条約は高度の政治性をもつので、一見極めて明白に違憲無効でなければ、裁判所は審査しない、とした(統治行為論)。1審の伊達判決は、安保条約を違憲無効としたが、これに驚いたのは安保条約改定を準備していた日米両政府だった。アメリカ大使は、日本政府に対して迅速な対応や、伊達判決を破棄するよう求めたことが、最近公開されたアメリカの公文書で明らかになっている。また、田中耕太郎最高裁長官がアメリカ側に裁判の見通しなどを漏らしていたこともその文書で明らかになった。政治が裁判に過度に関わった事件といえる。