2011年3月11日に起こった東日本大震災は、大地震と大津波、そして東京電力福島第一原子力発電所事故という想定外の災害によって、いままで日本社会において信じられてきた「安全神話」が一気に崩壊する惨事となった。このため行政の対応が無力をさらけ出したとともに、メディアが当然担ってくれると信じられてきた、迅速かつ適切な情報提供による環境監視の役割も後手に回った。情報空白の瞬間が生まれ、全体像を把握できる情報の提供ができなくなるという状態がしばらく続いた。もちろんマスメディアは総力を挙げて災害情報を提供しようとはしたのだが、たとえば速報性に富み、視覚情報を伝達できるテレビは、大津波によって町が瞬時に流されるなど生々しい映像を提供したものの、それはカメラで取材できる被災地だけに限られ、さらにこうした映像は災害報道に定番のものであったために、反復して放映された。被災地外の人々は、災害の大きさと悲惨さは実感したものの、それは災害の全体像とは違ったものになる危険性をはらむものであった。被災地では、テレビ、新聞などが機能しなくなった状態で、機動力に富んだラジオが活躍するとともに、ユーストリーム、ツイッター、フェイスブック、ミクシィなど、マスメディア以外の情報手段によって発信された情報がネットを通じて社会的に共有され、情報の空白状態を埋める社会的役割を担った。宮城県石巻市の石巻日日新聞(いしのまきひびしんぶん)は、手書きの壁新聞を発行した。また全国紙の記者が自社の新聞を避難所に自分の足で配布したことにも注目したい。これらマスメディア以外の情報手段が非常事態においては大きな力を発揮したことは、現代における災害情報のあり方を考えるうえで、貴重な教訓となった。大災害に関する情報をいかに迅速に、かつ正確に伝達し、秩序回復にどのように貢献するか、災害報道のシステム作りが急務となっている。