熊本県の不知火海で発生した、チッソ水俣工場排水中の有機水銀汚染魚による世界初の大規模中毒。チッソ付属病院から「原因不明の脳症状患者4名」と水俣保健所に報告されたのは50年以上前の1956年5月1日だった。12年後の68年、国はようやく水俣病の原因が「チッソのアセトアルデヒド製造過程で生成された有機水銀による公害病」と認定。劇症型の多数の患者が死亡。公害健康被害補償法により、約2200人が患者認定を受け、約1万4000人が認定を棄却されたが、2007年5月30日時点で新たな認定申請者が5167人、新たな医療手帳申請者は1万1278人おり、さらに今後も増えることが予想される。水俣病患者の全体数は不明。水俣病認定基準は、1977年に定めた感覚障害、言語障害など複数の症状を条件とした厳格基準と、2004年に最高裁が示した軽症の患者まで広げた基準との二重基準が存在しているため、補償や救済策が遅れている。07年10月、未認定患者の新たな救済策を検討していた与党プロジェクトチームは、一時金150万円、療養手当月額1万円、医療費の自己負担分を一律支給する案をまとめた。しかし、同年11月、チッソは、株主に説明がつかないとして受け入れを拒否した。また、1965年、新潟県阿賀野川流域でも水俣病が発生。同年6月に正式発表された。原因は、昭和電工鹿瀬工場が排出した有機水銀によって汚染された魚介類だった。認定申請を行った人は延べ2138人、うち690人が患者認定を受けている。熊本の水俣病と区別して新潟水俣病、第二の水俣病と呼ばれている。