カネミ油症事件とは、1968年にカネミ倉庫(北九州市)が製造した米ぬか油(商品名カネミライスオイル)で調理した食品を食べた人に皮膚炎や内臓疾患などの身体被害が発生した、日本最大の食中毒事件。被害者は九州地方に多い。被害は、米ぬか油使用の料理を直接食べた人だけでなく次世代にも及び、死産や早産、皮膚が黒い赤ちゃん(コーラベイビーなどと呼ばれた)が、68年以降73年までに全国で76人以上生まれたといわれている。被害を届け出た人は、全国で約1万4000人いたが、このうちカネミ油症と認定されたのは1892人のみで、不認定患者には何の救済措置も取られていないのが現状である。原因物質は、当初は不明だったが、のちに製造過程で使われたポリ塩化ビフェニール(PCB)が米ぬか油に混入したためと判明した。しかし、その後、本当の原因物質はPCBを加熱するとできる、さらに毒性が強いポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)などのダイオキシン類であることがわかった。2001年12月になり、ようやく国会でカネミ油症の原因がダイオキシン被害であると認められた。油症患者は、1969年12月以降7つのグループに分かれ、国やカネカ(鐘淵化学工業)、カネミ倉庫などに対して損害賠償請求の民事訴訟を起こした。80年になり、PCBが混入した原因が、当初の脱臭パイプのピンホール説ではなく、カネミ倉庫が行った脱臭装置の工事ミスであることが加藤三之輔カネミ倉庫社長の実姉で化学者の加藤八千代同社前取締役により判明。カネミ倉庫はこの事実を12年間隠し続け、真相の究明を遅らせたばかりではなく、認定患者に二重の苦しみをもたらした。一方、裁判では、84から85年に出された一審判決で国及びカネカ(鐘淵化学工業)、カネミ倉庫の賠償責任を認め、829人に約27億円(1人平均約300万円)の仮払金が支払われた。しかし、上告審では、カネミ倉庫単独の責任が明らかになった以上、最高裁は国の責任を否定せざるを得なくなり、否定されれば仮払金の強制返還が求められることになるとして、すべてのカネミ油症の民事訴訟で原告らは、87年3月から9月にかけて訴訟を取り下げた。96年になり、国は仮払金返還を求める調停を行った。油症のため働くこともできず、すでに仮払金を使い果たしている患者の中には、返還請求が子ども達にも及ぶことを知り、自殺者まででる事態になった。このため、10年間の履行延期措置期間が切れる2007年、救済策として一定年収未満の世帯は返還を免除する(約95%が免除)とともに、生存認定患者約1300人に一時金20万円が支給されることとなった。なお、現在も営業しているカネミ倉庫は、認定患者に1人あたり23万円の見舞金と油症(医療)券を渡している。