消費者運動には、「情報提供型」「生協運動型」「社会批評型」「商品テスト型」「告発型」などのさまざまなパターンがあり、近代社会に入り、イギリスやアメリカで次第に組織化されていった。1820年、イギリスの化学者フレデリック・アークムは『不純食品と料理の毒性』を著し、当時横行していたインチキ食品の毒性の恐ろしさを消費者に情報提供、警告した。政府は、これを機に不純食品取締法を制定した。1844年、イギリス・織物町ロッチデールで28人の織物職工が1人1ポンドを出資し、「ロッチデール公正開拓者組合」を組織した。この生協運動は後に世界各地に広まった。19世紀後半、アメリカで雑誌を通じてマックレーカーズと言われる一群の社会批評家たちが、政治の腐敗や企業の内幕を質した。そのうちの1人、アプトン・シンクレアは、1906年、『ジャングル』を著し、食肉会社が腐敗した肉を薬品などで加工し直し、缶詰やソーセージとして販売している実態を描き、当時の大統領が思わず口にしていたソーセージを放り投げたというエピソードが伝わっている。36年、アメリカ消費者同盟(CU ; Consumers Union of U.S. Inc.)が消費者の立場で商品テストを実施し、同協会の機関誌に結果を掲載し、賢いお金の使い方の参考にと消費者にただした。65年、 アメリカの弁護士ラルフ・ネーダーは、著書『どんなスピードでも日本車は危険だ』で、自動車大手メーカーGMの「コルベア」を欠陥車として告発した。日本では、61年、「財団法人日本消費者協会」が発足し、63年に「消費者宣言」を発表、消費者主権の確立をうたった。消費者協会の活動は、商品テスト、消費者教育などが主だった内容である。日本でもさまざまな運動パターンがあり、取り組んでいるテーマも種々あり、全国的な広がりをみせている。「全国消費者団体連絡会」事務局長・阿南久が、2012年8月、消費者団体出身としては初の消費者庁長官に就任し、消費者行政を担うことになった。