景観法の第二条(基本理念)に、「良好な景観は、(中略)現在及び将来の国民がその恵沢を享受できるよう、その整備及び保全が図られなければならない」と述べられている。この良好な景観を享受することが景観利益であるといえる。さらに同法第六条では、良好な景観の形成に関する住民の責務が述べられている。しかし、住民に良好な景観を享受する権利(景観権)があるとは明確には述べられていない。この景観利益と景観権を巡って、景観紛争がしばしば生じている。1992年に京都地裁の判決があった京都ホテルの建設を巡る紛争では、宗教的・歴史的文化環境権(景観権)を訴えた京都仏教会の主張が退けられた。東京都国立市の高層マンション紛争では、2002年の東京地裁の判決において、景観利益、景観権が認められ、マンションの一部撤去等を命じる判決がなされたが、控訴審判決では逆の見解が示され、続く最高裁判決(06年)は、景観利益の存在は認めるものの、それを享受する景観権が実態を有するものとは認められないとした。09年の鞆の浦景観訴訟では、広島地裁は、歴史的・文化的価値を有する景観を享受する周辺住民の景観利益を認め、景観利益を有する者の訴えは適法であるとした。景観権の一部であると考えられる眺望権は、「風光明媚な景観を望むことができる場所に建つ旅館が保有する利益と権利」と図式化できるように、景観との関係性はもう少し明確である。これまでに観光地などにおいて眺望の利益と権利を支持した判決が見られる。景観を変えようとする者と景観を保全しようする者が対立する裁判では、保全されるべき景観の質や、それが被る変化の度合いに関する評価や、その利益を享受する権利を有するのはどのような人々なのかが争点になる。良好な景観を保全・形成していくためには、法解釈上も、景観づくりの実践においても、より一層の努力と蓄積が期待される。