2009年4月6日午前3時32分にイタリア・ローマの北東約88キロのラクイラで、マグニチュード6.3、震源の深さ8.8キロの内陸活断層地震が起こり、住民309人が犠牲になった。この地震が起こる6カ月前くらいから微小な群発地震が発生しており、3月30日にはマグニチュード4程度の地震が起こった。このような状況下で住民の不安が高まり、一方で民間の地震予知情報が出されるなど、大きな社会不安問題となっていた。そこで、3月31日に国家市民保護局は大災害委員会(Commissione Grandi Rischi)を招集し、約1時間の委員会後の記者会見で、「安全宣言」を出してしまった。問題となったのは、安全宣言を出すことを委員会開催前に行政当局がすでに決定していたことであり、しかも、同時に民間の予知情報を払拭するという意図があったということが裁判で明らかにされた。12年10月の裁判の結果、地震研究者5人と行政官2人に禁錮6年の判決が下された。この判決に対して、わが国の多くのメディアは「地震予知の失敗」が問われたと報道しているが、そうではなく、地震が起こる前に安全宣言を出すという行為が告訴されたということが事実である。不確かな現象に対して、地震学者が傍観者的で、積極的に行政主導の広報に参加しなかったという大きな反省はあるが、委員会開催前に結論を用意するという行政の恣意(しい)性こそ問題であり、メディアの科学リテラシーの低さも加わってこのような悲劇を生んだといえる。なお、14年11月10日、第2審となるラクイラ高等裁判所では、証拠不十分を理由に一転して行政官1人を除く6人に対して無罪判決を出し、政府防災局のデベルナルディニス副長官には執行猶予付き禁錮2年とした。15年11月10日、イタリア最高裁判所は上告を却下し、第2審を支持したことで判決が確定した。