日本語は理解するが、中国語をまったく理解しない人がある部屋にいたとする。この人は、中国語に関するさまざまな操作の規則が日本語で書いてある本を持っている。部屋の外にいる別の人が、中国語の文字列を部屋の中に入れる。中の人は規則書とその文字列を見て、中国語の他の文字列を作って部屋の外の人に渡す。規則書を十分に詳しく書いておけば、中に入れられた文字列が質問文であったときに中の人が作った文字列はその質問に対するもっともな回答になっている、というようにできるであろう。中の人はまったく中国語が理解できないにもかかわらず、外の人には、中の人があたかも中国語を理解しているかのように見えるはずである。この「中国語の部屋」は、チューリング・テストでは知能を持っているかわからないという批判として提案されたものだが、批判になっているかどうかは議論が分かれている。2009年にはLevesqueが批判になっていないと主張する論文を発表して話題になった。