科学知識の研究は、古来哲学の周辺的活動として営まれてきた。科学研究が独立した公の活動として社会的に認められたのは、17世紀半ばになってからだった。1660年、現存する世界最古の自然科学の学会であるロンドンに王立協会(Royal Society)が組織され、まもなく学会誌の刊行を開始した。フランスでも、ほぼ同時期に王立科学アカデミーが発足した。科学のための諸制度が整備されたこのようなプロセスを、科学の制度化と呼ぶ。制度を初期に支えたのは、主に社会の上層であり、科学は貴族などのアマチュアの余技の色彩が濃かった。制度化がさらに進み、科学によって生計を立てることのできる人々が本格的に登場するのは、国の天文台などの一部の例外的職業を除けば、18世紀末以降のことである。フランス革命をきっかけに設置されたパリの理工科学校(エコール・ポリテクニク)では、科学者が教師となり、給与を得て、科学者や技術者の養成に当たった。このようにして、科学が専門科学者によって担われるようになるプロセスを、科学の専門職業化と称する(これを制度化の新たな段階として、17世紀の制度化を古典的制度化とする立場もある)。ドイツでは、19世紀初頭に大学の哲学部が興隆を見せるなかで、その一部として科学教育が組み込まれた。教育と研究が統一され、研究を重視する今日の大学の原型が作られた。19世紀後半になり、有機化学工業や電気工業が発展すると、科学者が国や産業界の研究所に研究員や技師として雇用されるようになり、国立の試験研究機関も設置された。こうして、職業としての科学は広がりと厚みを増すようになったが、一方で科学が国家や産業に組み込まれる科学の体制化という現象も起こった。