第二次世界大戦後の1949年、日本の研究者の代表的組織として発足した。戦前の学術研究会議(20年発足)を平和国家の理念の下に刷新し、当初は学者の国会的な役割を果たすものと期待された。政府の諮問への答申を行うだけでなく、勧告の権限を法律的に与えられ、声明や要望なども実施した。会員を研究者の直接投票によって選出するという、ユニークな組織だった。54年には、「原子力の研究と利用に関して公開、民主、自主の原則を要求する声明」を発するなど、今日から見て意義深い活動もある。だが、政府に対する批判的なスタンスがうとまれ、声明や勧告は無視されることが多かった。政府サイドでは、科学技術会議(総合科学技術会議の前身)や学術審議会を設置し、学術会議の地位は低下した。83年には直接選挙を廃止し、各種学会の推薦で会員を選出する改組が行われた。このときには、それまでの7部(文学、法学、経済学、理学、工学、農学、医学)が維持されたが、2005年の改組では、3部(人文社会科学、生命科学、理学・工学)とされた。210人の会員と2000人を超える連携会員は、会員の推薦により選出されることになった。近年では、政府に大所高所から助言を行うと言うよりは、各分野の研究の資金取り合いの場になっているという批判もある。政府といかなる関係を結ぶかという問題だけではなく、研究者自体が利益集団という側面を持ち始めた現在、学術会議が今後どのような社会的役割を果たしていくかも大きな課題である。