埼玉県和光市に本部を置く自然科学の総合的研究を目的とする独立行政法人。富国強兵や産業自立のための国民研究所を目指す動きの中で、1917年、財界の寄付と国庫からの補助金により半官半民で発足した。所長に菊池大麓、次長に桜井錠二、化学部長に池田菊苗、物理部長に長岡半太郎という有力者を頂いて発足した。鈴木梅太郎、寺田寅彦、中谷宇吉郎、本多光太郎、湯川秀樹、朝永振一郎などの著名な科学者が歴代の研究員を務めた。本部は最初、東京・文京区駒込に置かれた。デンマークの理論物理学者ニールス・ボーア(1885~1962年)の元から戻った仁科芳雄が31年に理研に研究室を立ち上げると、日本の量子力学研究のメッカとなった。戦時中には、仁科の下で原爆開発が行われた。21年に就任した第3代所長大河内正敏の時代には、豊かな研究費で自由に研究が行える黄金期を迎えた。大河内は研究所の発明を商品化して経営を支える方針をとった。これが理研を支える産業集団、「理研コンツェルン」である。だが敗戦により理研コンツェルンは財閥として解体され、理研は48年に株式会社科学研究所として再出発。58年に特殊法人理化学研究所となる。67年に現在の本拠地に移転し、2003年に独立行政法人となった。筑波(1984)、播磨(1997)、横浜(2000)、神戸(2002)などにも研究の拠点が設けられている。12年には、神戸に置かれたスーパーコンピュータ「京」の供用を開始している。