1945年8月、広島と長崎にアメリカ軍によって人類史初の原子爆弾が投下され、多大な犠牲者を出した。広島、長崎で被爆した原民喜、太田洋子、峠三吉、栗原貞子、正田篠枝などによって最初期の原爆文学が生み出された。これは未曽有の災厄をもたらした原爆の恐怖、暴力、残酷性を批判し、人間性の復活を求める主題のものであった。この後、被爆者ではなくても広島・長崎に関係のある井伏鱒二の『黒い雨』や、佐多稲子の『樹影』などの原爆文学が書かれ、日本の戦後文学が世界に発信する文学的テーマとして注目されている。
井上光晴の『明日』や小田実の『HIROSHIMA』などは、原爆文学の社会的広がりを意識した形で書かれ、林京子、竹西寛子の小説は、被爆者の‘戦後’や‘その後’を作品化している。しかし、被爆体験を中心とする原水爆の禁止運動は政治的に分裂し、大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』は、その現場をレポートした。
福永武彦の『死の島』のように抽象化された悲劇として描いたり、つかこうへいの『広島に原爆を落とす日』のような、一種のパロディー的な小説も書かれた。井上ひさしの戯曲『父と暮せば』のような家庭劇のような‘その後’の被爆者を主人公とした小説や、田口ランディの『被爆のマリア』のように、戦後60年が経過し、風化し、色褪せた原爆文学のテーマを、現在の時点に取り戻そうとする作品も書かれるようになった。こうの史代のマンガ『夕凪の街・桜の国』が、若い世代を中心に強い印象を与えた。