沖縄の米軍基地移転の問題が、政治・外交の世界をかまびすしくさせているが、沖縄の文学と、沖縄の政治的、社会的状況との密接さは、「本土」とは比較にならない。目取真俊の『虹の鳥』が沖縄の暴力的な現実状況を描いた小説として話題を呼んだが、軍事基地という‘暴力’に対して、もはや直接的な暴力しか対抗策はないと作中人物にいわせている。
アメリカ軍の暴力的な沖縄の‘軍事占領’についてもそうだが、口先だけで基地反対や沖縄からの移転、さらに経済的な沖縄への支援や援助、振興や発展の約束などを語る「本土」の欺瞞(ぎまん)政策に対して、沖縄側は強い不信感と不満を持っている。〈癒しの島〉としての沖縄ブームは、まだ続いているが、「本土」と「沖縄」との精神的乖離(かいり)は、むしろ広がっているといえる。