2012年4月22日に100歳を迎えた新藤兼人監督が同年5月29日に老衰のために死去した。本名は新藤兼登。22歳で新興キネマにフィルム乾燥係として入り、78年間の映画人生をスタートさせた。溝口健二監督の「元禄忠臣蔵」(前編は1941年、後編は42年に公開)に建築監督として付き内弟子になるも、溝口からは脚本を酷評されたこともあった。盟友吉村公三郎と50年7月に独立プロ近代映画協会を設立。51年の「愛妻物語」で監督としてデビュー。78年に結婚した女優・乙羽信子の主演で、60年のモスクワ国際映画祭グランプリを得た「裸の島」や、64年の「鬼婆」など多数の作品を手がけるとともに、社会性の強い作品から娯楽アクションまで勢力的に脚本を執筆し続けた。遺作は軍隊でのつらい経験を基にした2011年の「一枚のハガキ」。息子の新藤次郎は近代映画協会の社長、孫の新藤風は映画監督。