戦前から戦後にかけてトップスターとして活躍した原節子(本名・会田昌江)が2015年9月5日に死亡。95歳だった。義兄の熊谷久虎監督に薦められて女優となり、1935年の「ためらふ勿(なか)れ若人よ」でデビュー。この時の役名・節子を芸名とし、以後、「安城家の舞踏会」(47年)、「青い山脈」(49年)、「めし」(51年)など、数多くの映画に出演。なかでも小津安二郎監督の「晩春」(49年)、「東京物語」(53年)などで日本的な女性をはつらつと演じて、強い印象を残した。62年の「忠臣蔵」を最後に42歳の若さで現役を引退し、その後はほとんど公の場に姿を現さず、伝説のスターとなっていた。