演劇が俳優の肉体を媒介とする芸術である以上、常に何らかのリアリティーは存在する。しかし、ある現実空間を舞台上に完全な形で再現することをめざす演劇は自然主義の理論とともに始まった。それには、17世紀以降ヨーロッパに急速に広がった劇場建築が前提となる。いわゆる馬蹄(ばてい)形の桟敷席とプロセニアム・アーチを持つ、イタリア式額縁舞台(オペラハウス型劇場)である。このような完全室内型劇場は、当初は社会階層がそのまま持ち込まれた社交空間であったが、一方でプロセニアムと幕によって舞台を客席から遮断し、精巧な装置によるイリュージョンを作り出した。引き幕が導入されても花道を残した示現型の歌舞伎小屋との本質的差異である。啓蒙主義を経て、科学的合理主義が普及した19世紀末、プロセニアムはあたかも部屋の四方の壁の一つであり、そこを通して舞台上に再現された現実の日常空間を観察するという概念が生まれた。1873年にエミール・ゾラは「テレーズ・ラカン」の序文において、演劇は「人生の実験室」であり、観客は舞台上にありのままに再現された人生の真実を追究するべきである、と説いた。
作品においてこの理念を高度に実現したのが、ノルウェーの劇作家イプセン(1828~1906)である。作劇法としてはむしろ三単一の法則に忠実な緊密な構成の中で、人物たちの写実的な会話を積み重ねることで、近代社会の抱える問題と、これに対立する個人の苦悩や決断を生々しく描き出した。こうした理念は上演においても新たな方法を要求した。古典においては時代考証が重視され、観客が細部まで理解できるよう小さな空間を用い、装置も実物に近いものを用いる。何よりも演技は誇張を排してアンサンブルを緊密にし、それを観客の視点から検証する演出家の存在が必要になる。マイニンゲン公ゲオルグ2世の劇団や、パリにおけるアントワーヌの「自由劇場」はその試みの先駆けであった。