1950年代に登場した、ウージェーヌ・イヨネスコ、アルチュール・アダモフ、サミュエル・ベケットらの作品を、62年にマーティン・エスリンが「不条理」(absurd)の演劇として論じたことから定着した概念。代表作はベケットの「ゴドーを待ちながら」(52年)、「おお、うるわしの日々」(63年)など。ハロルド・ピンターや別役実らもこの影響を強く受けた劇作家である。古典劇からリアリズム演劇までは、劇中の状況や登場人物の性格・背景・心理などは台詞(せりふ)やト書によって説明され、それらの対立・葛藤から一定の結末に至るのが劇(ドラマ)とされた。そうした論理を一切拒むのが不条理演劇である。舞台上に何事かが展開しても、それを宗教・思想・科学などで説明して答えを得ることができない。徹底して不毛な人間の存在が示される。そのような世界観から現代人は逃れることができず、常に「人間が今ここに存在する」形で創造されるジャンルとしての演劇において、それが最も鋭く表現されるのである。