2010年前後から登場した大阪市の梅田地区の百貨店出店競争に関する言葉。08年のリーマン・ショック後、百貨店の売り上げが一気に下がり、1900年代の売り上げに戻ったとさえ言われた。地方店などの縮小、閉鎖が相次ぐなかで、大阪・梅田の出店と増床計画は、オーバーストアでないかと懸念され、2010年1月1日の新聞各紙の新年特集内で「大阪・梅田戦争」と表現されたのがきっかけで言葉として定着した。「大阪ファッション戦争」「大阪百貨店戦争」ともいう。大阪のキタとミナミを合わせると08年の百貨店総面積を100とすれば、14年には178%になる予定。三越伊勢丹ホールディングスのJR大阪三越伊勢丹の開業、J.フロントリテイリング傘下の大丸松坂屋百貨店の増床、商業施設「ルクア」の開店などで需給のバランスがいびつになるなか、地域一番店であるエイチ・ツー・オー・リテイリングの阪急うめだ本店は、7年間に及ぶ建て替え工事が終了し12年12月にグランドオープンした。8万平方メートルという圧倒的な売り場面積と「ペルソナカード」による顧客の取り込みが功を奏し、店舗スケール、売り上げともに圧倒的な勝者となり、13年春現在、大阪・梅田戦争は、多少の流動性を残しながらも、一応の決着がついたと見られている。