1988年、3歳の春に地方競馬の笠松競馬場(岐阜県)から中央競馬に移籍して活躍、「芦毛の怪物」と呼ばれた名馬。2010年7月3日、余生を送っていた牧場の放牧地で後肢を骨折しているところを発見され、安楽死処分がとられた。当時のルールでクラシックレースの出走はかなわなかったが、有馬記念(88、90年)、マイルチャンピオンシップ(89年)、安田記念(90年)などのG1(→「グレードレース」)に勝利。家族経営の小さな牧場で生まれた地味な血統の馬が、中央のエリートホースたちを相手に成り上がっていく姿に多くのファンが共鳴し、一躍アイドルホースとなる。ぬいぐるみやビデオ、写真集など関連商品が相次いで発売されるなど、その人気は同じく地方から移籍して活躍したハイセイコー以来の社会現象となった。通算成績は32戦22勝(うち地方競馬12戦10勝)。総獲得賞金9億1251万2000円は当時の史上最高額。引退後は当時の日本産馬として最高価格となる総額18億円のシンジケートが組まれて種牡馬となったが、産駒の成績はふるわず、2006年の種付けを最後に種牡馬を引退していた。