イシズミ・ケイイチロウ。元福井県農業試験場長。
5月6日、「コシヒカリ」の生みの親として知られる石墨慶一郎さんが、肺炎のため福井市の病院で死去。79歳。
1979年以来、「コシヒカリ」は全国で作付面積1位を記録しつづけている。コシヒカリは「農林1号」と「農林22号」を掛け合わせたもので、戦争中の44年、新潟県長岡市の農事試験場で誕生した。このイネは、倒れやすく、イモチ病に弱かったため、敗戦後の食糧増産優先策の下では無視された。しかし、粘り気があり、食味もよく、寒さに強いという新品種の長所を生かす改良を進めたのが、当時、福井県農事試験場(現農業試験場)にいた石墨さん。48年の福井大地震で試験田が大被害に遭い、湿田にわずかに残ったコシヒカリの株から、年々、改良を加え、「越南17号」という試験名をつけて、他県にも種モミを配布。56年に「農林100号」と正式に命名登録されたこの品種が、寒冷地を中心に全国に広まり、日本の米生産の3割を超えるトップ・ブランド米となる。
1921年福井県丸岡町生まれ。宇都宮高等農林学校(現宇都宮大学農学部)卒業。46年福井県農事試験場に入り、水稲育種を担当。コシヒカリの育成で、日本育種学会賞、農林水産大臣賞を受賞。