オオギ・アキラ。元プロ野球監督。
12月15日、近鉄、オリックスを率いて3度のリーグ優勝を果たし、野茂やイチローを育てた元プロ野球監督の仰木彬さんが呼吸不全のため死去。70歳。
1935年、福岡県生まれ。福岡県立東筑高校の時に4番・エースで甲子園出場を果たす。54年、西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)に入団。故・三原脩監督の勧めで二塁手に転向し、稲尾和久や中西太、豊田泰光らと黄金期を築いた。67年、現役を引退。西鉄、近鉄バファローズでコーチを務めた後、88年シーズンに近鉄の監督に就任し、翌89年にリーグ優勝。プロ1年目の野茂英雄投手をエースに据えるなど、その選手起用は「仰木マジック」と呼ばれた。94年からオリックス・ブルーウエーブを指揮。1軍に定着できずにいた鈴木一朗外野手をチームの軸に抜擢(ばってき)し、登録名も「イチロー」に変更させた。95年、阪神・淡路大震災で被災した本拠地・神戸のため、「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げてリーグ優勝。96年にはチームを日本一に導いた。2001年に監督を引退したが、近鉄とオリックスの合併により04年に誕生したオリックス・バファローズの初代監督に就任。05年シーズン終了後に体調不良で監督を勇退してからは同チームのシニアアドバイザーを務めていた。04年、野球殿堂入り。監督通算成績は14シーズンで988勝815敗53分け。勝利数は歴代12位。