サダナガ・ノブヨシ。陸上選手、指導者。
2月11日、1960年ローマ五輪のマラソン代表だった貞永信義さんが、急性心臓死のため死去。74歳。
29年、山口県生まれ。19歳のときに青年団のチームで出場した成人式記念駅伝で、タスキを渡す直前に抜かれて2位になったのが悔しくて、本格的に陸上競技を始めた。50年に陸上競技部を創部した鐘紡に入社。57年には第6回別府毎日マラソンで優勝。60年のローマ五輪には、選考会を3度走って出場を果たした。第一線を退いた後は、68年のメキシコ五輪の陸上競技コーチを務めたほか、カネボウ陸上部監督として、伊藤国光選手や早田俊幸選手らを育てた。40代半ばまで選手としても活躍し、75回のマラソンに出場。現役引退後も、月までの距離約38万キロを目標に走り続け、36万キロ近くを走破したところだった。