サイトウ・アツシ。産業再生機構初代社長。
2月28日、政府は迷走していた産業再生機構のトップ人事で初代社長に元野村証券副社長の斉藤惇氏を内定。
1934年、熊本県生まれ。63年、慶應義塾大学卒業後、野村証券に入社。95年に副社長となるが、97年総会屋親族企業への利益供与の責任を取り顧問に退く。99年スミセイ投資顧問(現・三井住友アセットマネジメント)社長に転じ、2002年11月会長を退任。機構の意思決定機関である産業再生委員会の委員長には、協栄生命保険の再建やダイエーの再建計画にかかわり、経団連などがまとめた「私的整理ガイドライン」の作成で座長を務めた、弁護士で獨協大学教授の高木新二郎氏を内定。過剰債務にあえぐ企業の生死を判定する「えんま大王」役といわれる、産業再生機構のトップ人事は引き受け手が決まらず迷走。有力候補だった清田瞭大和証券SMBC社長が、株式公開買い付けをめぐるインサイダー取引疑惑を理由に、社長就任を固辞したばかりだった。