カジモト・タカオ。元プロ野球選手、監督。
マツナガ・レイイチ。元法政大学野球部監督、五輪代表監督。
2007年1月12日、野球体育博物館が、元阪急ブレーブス投手の故梶本隆夫さん(競技者表彰)と、元法政大学監督の松永怜一(特別表彰)の野球殿堂入りを発表。
梶本は、1935年、山梨県生まれ。186cmの長身左腕投手として、54年に岐阜県の多治見工業高校から阪急(現オリックス)に入団。甲子園未出場の高卒ルーキーながら、1年目から開幕投手に抜擢され、20勝12敗と活躍。9年連続の2ケタ勝利のほか、56年には自己最多の28勝を挙げ、57年にはプロ野球初の9連続奪三振を達成。350勝を挙げた右腕の米田哲也とともに「ヨネカジ」としてチームの低迷期を支え、67年からのリーグ3連覇に貢献した。73年に引退するまでの登板数867試合は歴代3位、通算254勝(255敗)は歴代9位。シーズン20勝を4度、防御率1.92を記録しながら、タイトルは2度の最多奪三振のみだった。79、80年に阪急の監督を務めた後、解説者などを経て、中日の2軍投手コーチを最後に球界を引退。2006年9月、肺がんによる呼吸不全のため71歳で死去した。
松永は、1931年、福岡県生まれ。法政大学監督として田淵幸一、山本浩二らを育て、東京六大学リーグで6度の優勝を果たした。1984年のロサンゼルス五輪(公開競技)で、監督として日本代表チームを金メダルに導いたほか、日本オリンピック委員会の選手強化本部長を歴任するなど、アマチュア野球の向上、普及に貢献した。