コウモト・トシオ。政治家。
5月24日、自民党旧河本派の元会長で、通商産業相、経済企画庁長官などを歴任した河本敏夫氏が、心不全のため、東京都新宿区の慶大病院で死去。89歳。
1911年、兵庫県相生市出身。旧制姫路高校在学中に反軍演説で退学処分となり、日本大学に進学。大学在学中から三光海運(のちの三光汽船)の経営にタッチ。37年、三光汽船の社長に。一代で三光汽船を築き上げたオーナー経営者であり、運輸省の海運集約化政策に反発して、「海運業界の一匹狼」を貫いたことで知られる。49年の衆院選で、旧兵庫4区から初当選、以後、連続17回当選。68年、佐藤内閣で郵政相として初入閣。74年に三木内閣の通産相として、積極経済論でオイルショック後の経済低迷を回復基調に乗せ、経済通としての評価を得る。鈴木内閣、中曽根内閣でも経済企画庁長官を務める。80年に、三木武夫元首相から派閥を継承し、河本派の領袖となる。自民党総裁選には、78年と82年の2度、出馬したが、いずれも敗退。寡黙で、めったに感情を表さないところから「笑わん殿下」の異名をとる。85年、三光汽船の会社更生法適用申請の責任を取り、国務相を辞任。96年、政界引退。