ホシノ・テツロウ。本名、有近哲郎(アリチカ・テツロウ)。作詞家。
2010年11月15日、「函館の女」(北島三郎 1965年)、「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子 68年)、や映画「男はつらいよ」(70年 渥美清)の主題歌など数多くのヒット曲を生み、日本作詩家協会会長などを務めた、作詞家の星野哲郎さんが、心不全のため死去。85歳。
1925年9月30日、山口県生まれ。46年清水高等商船学校(現・東京海洋大学)卒業後、遠洋漁業のトロール船員となったが、腎臓結核を患い下船。病気療養中の52年、雑誌へ投稿した歌詞が入選し、翌年「チャイナの波止場」で作詞家デビュー。57年「横浜開港百周年記念の歌」に応募した歌詞2編が1位2位を独占し、審査員を務めていた作曲家の船村徹の勧めで上京。59年の「黄色いさくらんぼ」(スリー・キャッツ)で初のミリオンセラーを記録すると、以後「アンコ椿は恋の花」(都はるみ 64年)、「昔の名前で出ています」(小林旭 75年)、「風雪ながれ旅」(北島三郎 80年)、「兄弟船」(鳥羽一郎 82年)、「みだれ髪」(美空ひばり 87年)、「北の大地」(北島三郎 91年)などのヒット曲を量産、北島三郎、都はるみ、水前寺清子ら多くの新人をスター街道へ送った。また人情味あふれ、人生の喜怒哀楽を切なくこまやかに描写したその詞を、自ら「援歌」「縁歌」と称した。学校の校歌の歌詞などを含め、生涯に書き上げた作品は6000以上で、そのうち2000を超える未発表作品が残っているという。2007年には故郷の山口県周防大島町に「星野哲郎記念館」がオープン。著書に「歌いとしきものよ」(84年)、「妻への詫び状」(2003年)などがある。