カトウ・シヅエ。元国会議員、日本家族計画連盟会長。
12月22日、日本初の女性衆議院議員で、日本の産児調節運動と女性解放運動のパイオニアとして知られた加藤シヅエさんが、呼吸不全のため、東京都内で死去。104歳。
1897年(明治30)、東京都出身。1914年、女子学習院卒業後、17歳で石本恵吉男爵と結婚。炭鉱技師の夫の赴任で三池炭鉱に暮らし、女性炭鉱労働者の悲惨な労働環境にショックを受ける。19年、夫とともに渡米し、ニューヨークのバラードスクールで秘書学を学ぶ。20年、産児調節運動の指導者、マーガレット・サンガー夫人と出会い、日本に帰国後、「日本産児調節研究会」を設立し、産児調節運動を指導。「産めよ殖やせよ」の国策に反する危険思想の持ち主として、37年には「人民戦線事件」で検挙される。44年、石本氏と離婚後、労働運動家の加藤勘十氏と再婚。戦後、46年の衆議院議員選挙で、夫とともに当選し、初の女性国会議員のひとりになり、「売春防止法」「公害防止法」などの制定に尽力。54年、日本家族計画連盟を結成し、晩年まで産児調節運動に力を注いだ。88年、国連人口賞を受賞。