マキノ・ナオタカ。日本高校野球連盟(高野連)名誉会長。
7月18日、高野連会長を21年6カ月務め、野球殿堂にも入った牧野直隆さんが、すい臓がんのため死去。95歳。
1910年、鹿児島市生まれ。慶応商工(現・慶応高校)から慶応大学経済学部に進み、野球部で遊撃手、主将として活躍、東京6大学リーグ優勝に貢献した。大学卒業後、鐘淵紡績(現・カネボウ)に入社し、第8回全国都市対抗野球大会に出場、チーム初優勝を経験した。戦後、全鐘紡野球部を創設し、総監督として都市対抗野球大会で50年から3連覇を達成。その一方で49年の日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)の設立に力を尽くし、67年には日本野球連盟参与に就任。81年、前任の会長の死に伴い、高野連会長に就任。不祥事などへの処分の緩和、女子マネージャーのベンチ入り、選抜大会での「21世紀枠」導入、「複数投手制」の推奨、外国人学校への門戸開放など、数々の改革を行った。その功績が評価され、96年に野球殿堂入り、98年に勲三等瑞宝章を受けている。2002年11月に会長を退任。会長在任期間21年6カ月は歴代最長。