ミサワ・ミツハル。プロレスラー。
2009年6月13日、プロレスリング・ノアの社長でプロレスラーの三沢光晴さんが、試合中の事故で頭部を強打。頸髄離断のため心肺停止状態に陥り、搬送先の病院で死去。46歳。
1962年、北海道生まれ。中学時代は体操部に所属していたが、プロレスラーを志し、レスリングの名門、足利工業大学付属高校に進学。国体フリースタイル85キロ級優勝などの実績を引っさげ、81年3月、ジャイアント馬場率いる全日本プロレス(全日)に入門。84年にメキシコで武者修行したのち、2代目タイガーマスクとして活躍。90年5月から素顔で戦い、92年8月にはスタン・ハンセンから3冠ヘビー級選手権を奪取。その後、川田利明、小橋建太、田上明らとともに四天王として全日を牽引(けんいん)。ジャイアント馬場没後には全日の社長も務めたが、2000年6月に退団。同年7月にプロレスリング・ノアを旗揚げし、選手として社長としてマット界を牽引し続けていた。