ヨシナガ・マサト。調教師。元騎手。
9月11日、1983年の4歳(当時表記)クラシックの三冠を制した元騎手で、調教師の吉永正人さんが胃がんのため死去した。64歳。
41年、鹿児島県生まれ。牧場を営む家に生まれ、競馬の騎手を志す。61年に騎手デビュー。82年、モンテプリンスで天皇賞(春)優勝。翌83年にはミスターシービーで、皐月賞、日本ダービー(東京優駿)、菊花賞の三冠を制した(史上3頭目)。後方から最後の直線で一気に抜け出す独特な戦法は、当時としては常識破りだった。作家の故・寺山修司が大ファンで、エッセーにたびたび登場させたことでも知られる。86年、通算戦績2753戦461勝で騎手を引退、その後は89年に調教師免許を取得し、美浦トレーニングセンターで開業した。98年には調教したビクトリーアップが中山大障害(秋)で優勝。調教師として通算3586戦199勝(JRAのみ)の成績を残した。
私生活では77年に競馬記者であった吉永みち子(現・ノンフィクション作家)と再婚するも、のちに離婚。実弟・吉永良人は元騎手。前妻との子どもである吉永護も騎手をしている。