フィデル・カストロ・ルス。Fidel Castro Ruz。前キューバ国家評議会議長。
2008年2月19日、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(元首)が、共産党機関紙「グランマ」紙上で自らの引退を発表。24日、人民権力全国会議(国会)は、新しい国家評議会議長に弟のラウル・カストロを選出した。
1926年、キューバのオリエンテ州生まれ。砂糖農園主の次男として育ち、50年にハバナ大学を卒業後、弁護士を開業。53年7月、バチスタ軍事政権打倒を掲げ、165人でモンカダ兵営を襲撃して失敗、投獄される。裁判では自ら弁論に立ち、「歴史は私に無罪を宣告するであろう」と宣言した。55年5月に恩赦で釈放されると、そのままメキシコに渡り、アルゼンチン人のチェ・ゲバラらと合流。56年11月、ヨット「グランマ(おばあさん)」号でキューバに上陸するも、待ち構えていた政府軍に蹴散らされ、たったの12人でゲリラ活動を開始。次第に勢力を増し、59年1月には首都ハバナに入城、33歳でキューバ革命を成功させた。同年2月に首相に就任。革命政権を敵視し、武力介入も辞さないアメリカとの対立のなかで、61年、「社会主義革命」を宣言。以来、ソ連に接近する。76年12月より国家評議会議長。アメリカの経済制裁下で、医療や教育は無料という平等主義体制を築いたが、91年に、それまで大きく依存していたソ連が消滅すると、深刻な経済危機に陥り、市場原理の限定的な導入を強いられた。2006年7月、カストロは、腸の手術を受けたこと、回復までラウル・カストロ国防相に権限を委譲することを発表。以来療養を続けていた。