アリエル・シャロン。Ariel Sharon。イスラエルの右派政党「リクード」の党首。2月6日、イスラエル首相公選で、タカ派のシャロン党首が得票率62.5%で、バラク首相(労働党党首)の得票率37.4%を制し圧勝。
次期イスラエル首相となるシャロン党首は、48年の第1次中東戦争に20歳で従軍。以後、73年の第4次中東戦争まで前線指揮官をつとめた叩き上げの軍人。74年に政界入り後、77~81年の農相時代には、イスラエル占領地区でユダヤ人入植地建設政策を推進し、82年には、国防相としてレバノン侵攻を指揮。このとき、アラファト現パレスチナ自治政府議長はベイルートの拠点を追われている。シャロン氏も、親イスラエル民兵によるパレスチナ難民大虐殺の責任を問われて国防相を辞任。最近では00年9月に、シャロン氏が、エルサレム旧市街のイスラム聖地「ハラム・シャリーフ(神殿の丘)」に押し掛けたのをきっかけに、イスラエルとパレスチナ間に大規模な衝突が発生、双方で計380人が死亡。クリントン前アメリカ大統領が仲裁していた中東和平交渉を暗礁に乗り上げさせた張本人でもある。
このような経歴をもつシャロン氏の対パレスチナ政策は、非妥協的にならざるをえないだろう。クリントン仲裁案にあった、エルサレムの共通首都化、ヨルダン川西岸の占領地の返還、ユダヤ人入植地の廃止といった協議事項は、シャロン氏自身の政歴、政見と相入れないものである。しかも、中東和平問題に積極的に介入していたアメリカ政府も、ブッシュ新政権に代わってからの中東戦略は、対イラク制裁にプライオリティが置かれている。ブッシュ政権が、中東和平の調停者として積極的に手をさしのべる可能性は少ない。シャロン党首の首相就任で、中東和平はまた一歩遠のいたと見るべきだろう。
28年、イスラエル建国前のイギリス委任統治下のパレスチナに生まれる。ユダヤ人自衛組織「ハガナ」に入隊。ヘブライ大学卒。超タカ派の論客で、別名「ブルドーザー」。