ツタ・フミヤ。元池田高校野球部監督。
4月28日、「やまびこ打線」で人気を呼んだ蔦文也さんが、肺がんのため、徳島県池田町の病院で死去。77歳。
豪快なバッティングの攻撃野球で高校球界に新風を吹き込んだのが、徳島県池田高校の蔦監督。送りバントなどの小細工をしない攻めの采配から、「攻めダルマ」の異名をとった。
1923年、徳島市生まれ。旧制徳島商業では、甲子園に内野手、投手として3回出場。同志社大学では投手でリーグ優勝。学徒出陣し海軍特攻隊員に。戦後、プロ野球の東急フライヤーズ(現日本ハム)に1年在籍。51年、池田高校の社会科教員となり、52年から92年まで40年間、野球部監督を務めた。甲子園には春7回、夏8回出場し、優勝3回、準優勝2回。ただし、初出場したのは監督生活20年目。74年の春には、わずか部員11人で準優勝し、「さわやかイレブン」と呼ばれ全国的に有名に。74年に金属バットが導入されて以後、いち早く筋力トレーニングを導入。バットを振り抜く攻撃野球で、82年夏、83年春の夏春連覇を達成。なお、蔦元監督の戒名は「観徹院誠文球道大居士」。