ミズキ・ヨウコ。本名、高木富子(たかぎ・とみこ)。脚本家。
4月8日、数多くの日本映画の脚本を手がけた水木洋子さんが、老衰のため死去。92歳。
1910年、東京都生まれ。日本女子大学国文科、文化学院専攻科演劇部に学んだのち、菊池寛主催の脚本研究会に参加。新派の台本やラジオドラマの執筆を始める。47年、疎開先の愛知県から千葉県市川市に転入。翌年から八住利雄(やすみ・としお)に師事し、49年、八住と共同脚色した映画「女の一生」でデビュー。その後「ひめゆりの塔」(53年)、「浮雲」(55年)、「キクとイサム」(59年)、「氷点」(66年)など、文芸作品を中心に日本映画の脚本を数多く手がける。テレビでもNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」(68年)の脚色を手がけた。93年に、市川市内の特別養護老人ホームに入所。98年に、著作権を含む所有財産を市川市に寄贈する契約を結んでいた。