フジタ・モトシ。元・読売巨人軍監督。
2月9日、巨人のエースとして活躍し、監督としても巨人をリーグ優勝4回、2度の日本一に導いた藤田元司さんが心不全のため死去。74歳。
1931年、愛媛県生まれ。西条北高校(現・愛媛県立西条高校)を経て慶應義塾大学に入学。速球が武器の本格派投手として注目を浴びる。卒業後は社会人野球の日本石油(現・新日本石油)に所属し、56年の都市対抗野球で優勝。57年シーズンに巨人入りし、1年目から17勝の好成績をあげ新人王を獲得。58年に29勝、59年は27勝で2年連続のMVPに輝いたが、肩を壊したことから、通算119勝88敗、防御率2.20の成績を残し、64年に8年間の現役生活を終える。巨人、大洋(現・横浜ベイスターズ)のコーチ、スカウトや野球解説者を務めた後、81年に巨人の監督に就任。監督1年目にチームを8年ぶりの日本一に導いた。83年に退任するも89年に復帰。同シーズンに斎藤、桑田、槙原の3投手を軸にリーグ優勝を飾り、近鉄(現・オリックスバファローズ)との日本シリーズでは、3連敗後の4連勝で逆転日本一に輝いた。7年間の監督生活で、通算成績は516勝361敗、勝率は.588。巧みな采配は「藤田マジック」と呼ばれた。96年に野球殿堂入り。晩年は少年野球の普及に尽力した。