ミツヅカ・ヒロシ。元衆院議員。
4月25日、蔵相、外相、自民党幹事長などを歴任した元自民党衆院議員の三塚博さんが、病気のため死去。76歳。
1927年、宮城県生まれ。宮城県議を経て72年の衆院選で初当選。運輸政務次官などを務め85年には中曽根内閣で初入閣。運輸相として国鉄の分割民営化に手腕を発揮。竹下内閣で通産相、宇野内閣で外相を務め党政調会長の座に就いた。91年、故・安倍晋太郎元幹事長が率いた「清和会」を継承し、自民党総裁選にも出馬したが宮沢喜一元首相に敗れた。96年には橋本内閣で蔵相を務めたが、大蔵省の証券不祥事の責任をとって98年1月辞任。同年12月には森喜朗元首相に派閥会長を譲り、2003年11月の衆院選に出馬せず、政界を引退した。